16bit戦争
セガのジェネシス(日本ではメガドライブ)が1990年8月に北米へ、スーパーファミコンの北米版が1991年に出ます。この戦いを有名にしたのは機械の性能ではなく、広告でした。「Genesis does what Nintendon't(ジェネシスは、任天堂がやらないことをやる)」——当時の業界の慣習では競合を名指ししませんでしたから、セガはその線を初めて越えたのです。速さを謳い、スポーツものを揃え、スーファミ版のモータルコンバットが血の表現を薄めたことまで皮肉にしました。任天堂は1991年、若いポール・ラッドを起用した「The Best Play Here」で、量より質だと応じます。1992年にセガは北米の16ビット市場でシェアの過半を取ったと言われ(この数字は業界の推定で、出どころは強くありません)、1994〜95年にスーファミが逆転しました。対抗が両方を鍛えた数年間です。