花札と禁令
ここには、この地図でいちばん好きな逆説があります。寛政の改革(1789〜)でカルタ博奕の取り締まりが強まったとき、京都の山口屋儀助は、数字を捨てました。かわりに札の上に、松と鶴、桜と幕、芒と月——四季の花鳥風月を置いたのです。商品名は「武蔵野」。賭博の道具に見えないようにするための偽装でした。素札に古歌を入れて「歌かるた」を装う手口もありました。禁じられるたびに絵柄を変え、名前を変えて生き延びる。そうやって、あの美しい絵札が生まれています。取り締まりが、意匠を育てたのです。年代の整理をひとつ。1886年(明治19年)、前田喜兵衛が東京で花札の販売を始め、政府がこれを黙認したことで事実上の解禁になりました。そして1902年(明治35年)、骨牌税法ができて、花札は「課税される合法な商品」になります。禁じる相手から、税を取る相手へ。同じ年に、京都の小さな花札屋が日本初のトランプを作りはじめました——次のノードです。