スペースインベーダー
タイトーの西角友宏がひとりで作りあげた、横一列の侵略者。撃つ相手を人間にしなかったのは、その方がアニメーションは作りやすかったけれど道徳的に気が進まなかったから——と本人が語ってきたと伝えられます(一次の引用文はまだ確かめられていません)。そしてこの遊びの代名詞になった「後半になると敵の動きが速くなる」演出は、設計ではありませんでした。敵が減ると、計算機が一体あたりに割ける時間が増えて、勝手に速くなったのです。処理落ちの裏返しが、緊張の設計になりました——制約が遊びを作る、この地図で何度も出会う線です。テーブル型の筐体はもともと1976年に喫茶店向けに作られたもので、この遊びで全国に広がり、ゲーム機だけを置いた店は「インベーダーハウス」と呼ばれました。1978年末、海外の権利はミッドウェイへ。1979年末までに世界で約75万台、北米で約6万台が設置され、海の向こうのアーケード黄金期に火がつきます。
神話の訂正
インベーダーの大流行で、日本から100円玉が足りなくなった
足りなくなったのではなく、増やしていました。1979年5月、日本経済新聞が「百円玉なくなる」と報じたとき、日本銀行は不足そのものを否定し、流通量は1月末で前月比8.2%増、2月末で9.1%増だと説明しています(ブームがその増加の要因の一つであることは認めました)。硬貨は消えたのではなく、喫茶店のテーブルの上に積み上がって、また銀行に戻っていったのです。※造幣局の一次統計までは確かめられていません。