かるた
16世紀半ば、南蛮船の船員が持っていた紙札が長崎に着きます。ポルトガル語のcartaが、そのまま「かるた」になりました。やがて筑後の三池(いまの大牟田)で国産化が始まり、「三池住貞次」と銘の入った札が残っています。ただし天正かるたの現存はごくわずかで、芦屋の滴翠美術館にある「棍棒の国王」の一枚がよく知られています——江戸のあいだ、賭博の道具として何度も禁じられ、焼かれ、捨てられたからです。紙の遊びは、燃えやすい遊びでした。ここから札は二手に分かれます。賭けの側はうんすんかるた、そして花札へ。歌の側は歌がるた——三十六歌仙や源氏、そして小倉百人一首へ。同じポルトガルの札から、賭場の札と、正月の座敷の札が生まれました。百人一首という歌集は八百年、それを取り合う遊びは四百年ほどの歴史です。