任天堂の創業
「1889年(明治22年)山内房治郎が、京都市下京区にて花札の製造を開始。」——会社自身の沿革の、最初の一行です。屋号は任天堂骨牌。骨牌(こっぱい)とは、かるた類のことです。房治郎は石灰の商いもしていて、そちらは1885年から——花札より四年早いのです。ただし、どちらが本業でどちらが副業だったと言い切る資料は見つかりませんでした(そう要約している文章はありますが、根拠にたどり着けません)。だからこの地図は、主従を決めずに二つ並べて書いておきます。沿革の次の一行はこうです。「1902年(明治35年)日本初のトランプ製造に着手。」——花札に税がかかった年と同じ年でした。課税が、輸入品だったトランプの国産化へ背中を押した、という読み方ができます。そして1965年、花札の組立ラインを見ていた技師の玩具が社長の目に留まります。横井軍平です。彼の「枯れた技術の水平思考」は、ゲーム&ウオッチとゲームボーイを生みました。禁じられ、偽装され、課税され、それでも遊ばれつづけた札の商い。その先に、いまのゲームがあります。この一社の年表が、遊びの列島の水脈そのものです。