パチンコ
戦後の名古屋で遊技場をやっていた正村竹一が、1948年ごろに釘の配置を作り変えました。それまでは釘が均等に並ぶ「バラ釘」でしたが、入賞口を減らし、天釘・ヨロイ釘といった配列で玉の流れに変化をつけた——これが正村ゲージです。翌年に自社の台を出すと、毎朝店の前に三百メートルの行列ができたと伝えられます。ここが、この地図の別の帯とつながります。彼はこの画期的な配置を特許にせず、同業他社にも公開したのです。だからパチンコは全国に広がりました。「発明者は、たいてい儲けそこねる」——モノポリーのマギー、Pongのベア、そしてQRコードを開いた人と同じ列に、正村竹一が並びます(※特許を出さなかった経緯の一次資料には到達できていません)。もうひとつ書いておくべきことがあります。玉を現金に換える仕組みは「三店方式」と呼ばれ、店・交換所・問屋という別々の三者を通すことで、一続きの賭博にならない建付けになっています。始まりは1961年、元警察官の水島年得が考えた「大阪方式」だと言われます。ただしこの仕組みは、交換所が店と資本や雇用でつながっていれば前提が崩れるとも指摘されていて、白黒がはっきり決まった話ではありません。この地図は、確かめられた範囲で「グレーのまま運用されている」と書いておきます。