シミュレーションと戦略
ウィル・ライトは処女作『Raid on Bungeling Bay』(1984)のために自分用のマップエディタを作っていて、あることに気づきます——「ヘリコプターで飛び回るより、島を作っているほうがずっと楽しかった」。そこから生まれた『シムシティ』(1989)は、出版社に断られ続けました。彼らが繰り返し訊いたのは「これはいつゲームになるんだ? 勝ちと負けはいつ来るんだ?」。勝敗のない遊びが世界に受け入れられて、同じ年の『ポピュラス』が神の視点を開き、1991年の『Civilization』でシド・マイヤーが文明の規模の決断を型にします。彼が1989年に言った「ゲームとは興味深い決断の連続である」は、いまも設計の合言葉です。リアルタイムの側は『ヘルツォーク・ツヴァイ』(1989)から『Dune II』(1992)が文法を固め、『Warcraft』(1994)『StarCraft』(1998)へ。そしてStarCraftは韓国のPC房の文化と結びついて、eスポーツという新しい職業を生みました。日本には別の流れがあります。1983年『信長の野望』(光栄・シブサワ・コウ)と『三國志』が歴史のシミュレーションを家元にし、1990年『ファイアーエムブレム』がユニットに名前と死を与えて、シミュレーションRPGという型を作りました(「最初」ではありません。『ボコスカウォーズ』1983などが先にいます)。この帯からもう一本、大きな水路が出ています——『Warcraft III』のカスタムマップから『DotA』が生まれ、MOBAという別の帯になりました。遊ぶ人が作った地図が、ジャンルを一つ増やしたのです。
神話の訂正
Dune IIが世界初のリアルタイムストラテジーだ
メガドライブの『ヘルツォーク・ツヴァイ』(1989)が三年先行しています。しかも『Dune II』の設計者ジョー・ボスティック自身が、ヘルツォーク・ツヴァイと比べて「こちらにはマウスとキーボードという利点があった」と語っています。Dune IIが作ったのは最初のRTSではなく、採取して建てて生産して攻めるという、いまも使われている文法のほうでした。